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一本の手紙入りのビール瓶から始まった壮大なドラマが映画になり、また、そこから壮大なドラマへと発展していく。そのドラマの舞台は大いなる海、はるかなる海・・・。 |
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波が、風が人の想いや願いを運び、出会うことのない人と人を想像も出来ない神秘な出来事としてつなぎ、深い関わりのきっかけを作って、人生というドラマを壮大で且つ、ドラマチックにしていく。。 |
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この長い月日・・・イベントを主催してきて感じたこと、思ったことを・・・エピソードとして乗せていきたいと思います。 |
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(代表・小林一平) |
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☆ 老婆の涙 |
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初期の頃、上映会(黒潮物語) の事について一本の電話がかかってきた。『私は76歳の老婆ですが私なんかが見に行ってもよいですか』 |
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そして、会場に来られたこの人に聞くと、入場料の何倍かのタクシー料金を払って来てくれたとの事、そして、いい映画でしたと涙を見せ ながら一生懸命にメッセージを書いてくれました。作り手としてあんな嬉しいことはなかった。 |
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☆ 握り締められた手 |
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茅ヶ崎映画村10周年記念で上映会をしたとき事、ゲストは山田洋次監督と私だった。山田監督のは『馬鹿まるだし』 僕のは『黒潮物語』。山田監督は最初の時代劇のクランクインの前だったと思う。会場は近所のお年寄りと子供、そして映画好きの人たちが沢山来られた。控え室で監督と会い、山田監督と話す、山田監督の第一作のシナリオ。教育映画『蜂の子』 この作品は当時、東映にいた父が製作に強く推奨したと聞いていた。その話をすると、山田監督は「あの作品が評価されたことは大変嬉しかった。この世界でやっていけると思った」と語っていた。『黒潮物語』を見た老人が僕のそばに来て、ありがとうとしっかりと手を握り締め、ホケットからお金を出してこれを使ってくださいとまた、手を握り締められた。無料上映会だったので受け取らなかったが、あのしっかりと握ってくれた暖かさは忘れない。 |
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☆ 白紙のメッセージ用紙 |
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高知での上映会の事、多くの書かれたメッセージ用紙の中に白紙のメッセージ用紙があった。しかし、住所と名前と電話番号が書かれていたので電話して、どうしてメッセージがかかれてないのと聞くと・・・なんて書いていいか判らない。 でも、でも、返事はほしい・・・おじさん。
届くかな・・・ 届いてほしいと言っていた。 |
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☆ 出会いの不思議 |
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メッセージボトル発信基地を求めて・・・高知県や和歌山県の海辺の市町村長に片っ端から会いに行った。どの村長も、町長も、市長も
『いいね。これは、夢がある。今の子供たちには夢が必要だ』ここまでは同じ、どこもここからが進まない。いやになり掛けてた時、高知の
須崎市の梅原市長と会う。市長室へ行き、初対面だったがメッセージボトル発信地がほしい、市長協力してくれませんかと問うと、うん、やろう。たった五分で決まった。市長は高知県庁に掛け合い県の海洋練習船『土佐海援丸』を借りてきてくれた。予算もなく、資金もなくただ
情熱だけで上映会→放流と進んでいった。市の職員たちは募金活動もしてくれ、しっかりと趣旨を判ってくれた。そして、高知でメッセージボトルは花開く。各地へ届き、沢山の地域との交流、学校間との交流や個人の友情へと発展していく。学校間も全国各地と約70校がつながり、ニュージーランド・オーストラリアにも届き、国際交流へと発展していった。ここの五年での活動が『夢のメッセージボトル』イベントの |
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土台となった。 |
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梅原市長のメッセージ「人生はふとした出会いによって描き出されるドラマである」これが私の最も好きな言葉である。『黒潮物語』元気な子の会代表の小林一平さんとの出会いが、私の人生の一頁を飾ってくれることになりました。21世紀は『人権と環境の世紀』と言われています。すべての差別を無くさなければ真の世界平和の実現は不可能です。美しい地球を護り、子どもたちの未来に夢と希望を与える |
ことが、私達の使命だと思います。学力偏重、学歴偏向の20世紀の教育の誤りを是正しなければなりません。小林一平さんと初めて会った時、お互いの主張に共通する「こころ」を感じたのです。【夢と友情のメッセージ】がどのようなドラマを創ってくれるだろうか?
背筋がゾクゾクする想いが、私の血を騒がせております。メッセージボトルよ、黒潮に乗り、友情の風を運び、すばらしいドラマを作っておくれ・・・・
真の平和を祈りつつ、1999年5月9日、私も土佐海援丸に乗船しよう。 高知県須崎市長 梅原一 |
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☆ メッセージボトル発祥の小学校 |
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種子島、鉄砲伝来の島。 海は美しき南の島である。
安城小学校 メッセージボトル発祥のところ ここの漂着の事実を映画『黒潮物語』にした。昨年、この小さな小学校で『黒潮物語』のビデオ上映があり、校長先生から報告をもらった。多くの村民が集まり、映画に出た子ども達も参加しての上映会だったらしい・・・今年も例年のメッセージボトル放流が行われたらしい。児童数14名の可愛い素敵な学校だ。昔、富士通が選んだ『日本一』という中で小学校の項でここが選ばれた。メッセージボトルは教育の原点であり、心を育てるそして視野を大きく見つめる。 たくさん届くといいな 14人の心が・・・・ |
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☆ 夢見る子 |
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昨年の夏、沖縄のメッセージボトルイベントに参加してくれた親子から聞いた話。
メッセージを書き、放流船に乗り流した後、一生懸命に英語の勉強をしたらしい
アメリカに届いて、返事を書くために・・・ そんな夢が生まれる。 |
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☆ 不登校の子 |
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高知での事、放流船乗船の子供を選別していた時たくさんのメッセージを読み、一通のメッセージが目に留まった。 |
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非常に四年生では良く書けていたので・・・この子を選んでメッセージ用紙に書かれた家に電話してみた。お父さんが電話に出てこられて、メッセージボトル放流船乗船の話をすると、実はあのメッセージは息子と一緒に上映会に行って・・・息子の変わりに私がメッセージを書きました。それは息子が不登校児なのでこのメッセージで友達が出来たらという親心です、すいません。 |
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その話を聞いたときに高知の片田舎でも・・・いじめはあり、不登校の子もいるという事実を知ったときは愕然とした。でも、この親子の想いに応えられるイベントであってよかったと思ったのも事実。全国の悩みのある子供たちに参加してほしいと切に感じたのもこの時でした。このイベントで友達が出来、少しでも子供たちが孤独から開放されればと思う。 |
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☆ 漂着地との交流 |
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1999年5月9日(その時の模様はTBSのニュースの森で特集された)に放流したメッセージボトルは北は青森県・茨城県・千葉県・神奈川県・静岡県・徳島県と漂着して素晴らしい交流に発展した。学校、個人とつながりは増え、文通、電話、インターネット、ビデオレターと数々な方法で地域紹介・学校紹介・自己紹介と発展していった。そんな中、漂着地の子供たちを高知へ招待しようとの声があがり、私達と各行政(高知市・須崎市・田野町・高知県青少年育成協議会で書類を作って厚生省の子育て支援の基金を使って各地から八月に高知へ招待した。折りしも「よさこい祭り」のとき、高知の子も各地の子も一緒になって踊り楽しみ交流を深めていった。その全体はテレビ特番に製作され多くの人たちが見てくれた。そして、忘れられないのは徳島の子がくれた手紙でした。『一生の友達が出来たことがすごく嬉しいし、一生大切にしていきます。』こうして子供たちは夢と友情を感じ、その贈り物をくれた海に感謝しています。 |
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☆映画『黒潮物語』の出来事・・・ |
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長い撮影期間の間に色んなことがあった。特に思い出すのは、冬の撮影(苫小牧に行く途中)の頃。その頃世間では「グリコ・森永事件」の真っ最中だった。打つ合わせに種子島の安城小学校へ行ったとき、この話題が出た、その後、子供達から沢山の文集が届いた。読むと・・・アフリカでは食べ物がなくて多くの人が死んでいます。日本ではお菓子に毒を入れて喜んでいる人がいます。怪人21面相さん・・・お菓子に毒を入れないで下さい。 この文集を持って、ロケで九州種子島から苫小牧に行く途中、東京田町の森永本社を訪ね当時の高木副社長さんに文集を渡し、生徒一人一人が千円バックを買い社員たちを励ました。多くの報道関係が来てこのニュースを全国に新聞、テレビで何回も何回も報道した。これ以来、「グリコ ・森永事件」はぴたっと止まって終息したのである。今、思うと色んな物が詰まった映画だとつくづく思う。 |
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☆試験問題になった『黒潮物語』 |
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広報のT氏がサイトの中で見つけてくれた。英語の試験のモデルになっている。英語の先生がこの映画を見て作ったのか・・・それとも業者が作ったのか・・・?
このHPの☆夢のメッセージボトルのコーナーに載せていますが・・・ |
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http://school.gifu-net.ed.jp/kayofront-hs/teiji/nyuushi/nyuushi/H16tokusyoku-kaitou/page2.pdfです。
嬉しいことです。 |
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